ご挨拶

代表あいさつ

原点を忘れない 原点があるから今がある。
わたしたち株式会社ジップサービスには、沢山の原点があります。その原点が経験となり沢山のお客様に守られながら成長してきました。スタッフの大部分も過去に一緒に働いたメンバーばかりです。
お客様やスタッフが大切に思ってもらえる会社で在り続けるため、日々考え邁進していきます。

ジップサービスの原点 〜 創業の想い 〜

お客様との付き合い方の原点 〜 Macintoshとの出会い 〜

私が初めて就職した会社では、プログラマーを希望して面接に臨みました。無事に採用になりましたが、希望していないサービス課のカスタマーエンジニア(CE)として配属されました。配属の理由を人事から教えてもらい、社長面接の際に子供の頃から色々なモノを分解したり、改造したりすることが好きだったと話したことが配属の理由になったと聞き、そんな話をしてしまったことを後悔しました。そんな話をしなかったら、プログラマーとして採用されたかは不明ですが…3日ほど後悔し、悔やみ続けても何も始まらないと思い4日目には気持ちを切り替え、天職を得た気持ちで、CEという職を徹底的に取り組むことを決めました。

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複写機・FAX・ワープロのメンテナンスに従事しながら、デジタルの世界の基礎を学び、複写機ではカラーコピー機のメンテナンスのために、ソフトウェア的なことも習得しました。その後、IBMやApple MacintoshのCEとしてお客様にお伺いする日々を過ごしました。

この当時に思ったことは

  • ● 修理の依頼後にハードウェアを修理するだけでなく、お客様の気持ちに寄り添った行動も重要
  • ● 機器が使用できない時間が長くなる程、お客様の業務に支障が発生する
  • ● 修理に伺う前の電話連絡の際、到着するまでにお客様自身がおこなえる応急処置をご案内すること

これらの考えが、お客様の利用環境(サーバー環境)の死活管理が当たり前だという考えの原点となりました。

その後、メーカーのデジタル技術研修に何度も参加しました。会社内には先輩も居ましたが、何故か「デジタル研修に行け! 」という指示を受け参加していました。同業他社の参加者の皆さんは年齢が年上で、経験年数も多い方ばかりの中での研修となり、正直…私は浮いていました。デジタル研修は新鮮で面白く、必死に覚えようとしなくても、どんどん身に付けることが出来ました。今思うと、あの時代に給料をもらいながら、CEとしてデジタル技術を覚えることができて、本当にラッキーでした。

Appleの技術研修を受けた時に、 Macintosh(マッキントッシュ) の良さに感動し、 Macintoshの修理を楽しみにしていましたが、まだ世の中にそう台数がない時代だったため、修理件数が全くありませんでした。こんなに使いやすいパソコンを何故売らないのだろう?と、思いはじめたのが入社6年目でした。その年の冬のボーナス支給日に、CEの私が、役員面接にて「 Appleを売る営業をしたい! 」と話をしたのが、私の営業の始まりでした。

マーケティングの原点 〜 厳しさの中で気づいたこと 〜

私の希望どおりに営業部に配属されました。しかしMacintoshを売りたいからといって、すぐに売りはじめることは出来ませんでした。とにかく厳しい先輩ばかりで、営業先は自分で決められませんでした。先輩が作成した見込みリストという名の、電話帳のコピーに掲っている会社は営業をかけてはいけない、それ以外を回れというものでした。明らかにMacintoshの需要がないような会社ばかりに営業に回れということでした。「Macintoshを売るために営業職になったのに…話が違う…」と思いましたが、売上ゼロで営業に成り立ての私には、そんなことを言えることは出来ませんでした。

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その後、営業会議に初めて参加しました。見込売上額・見込客・訪問件数・今後の営業スケジュールの報告をする場面を目の当たりにしました。成果が上がらず結果が思わしくない先輩営業マンには、良く言えば叱咤激励という、それはそれは激しい言葉が降り注がれていました。自分はそんな風にはなりたくない。どうすれば営業会議を余裕で参加できるようになれるか?配属されて1ヵ月目の私は真剣に考えました。

Macintoshはまだ売ることが出来ないが、それ以外の商品を販売して売上ノルマを達成すれば良い!と自分と約束し、その日から売上ノルマ達成のための努力を沢山しました。人の2倍・3倍は考えて動いて、アレコレ試しながら3ヵ月後には、余裕で営業会議に出席できるようになりました。どんなことをしたか詳細は割愛しますが、興味のある方は是非私と会ったときに聞いてください。おそらく1時間以上は語るボリュームになるのでご注意ください!ちなみに 3ヵ月後からの営業会議では毎回私は叱咤激励を浴びせられることはありませんでした。

どうすれば売れるのか?
これこそが、マーケティングを考える”原点” です。

起業を考える原点 〜 念願のMacintosh販売を始める 〜

売上ノルマを毎月達成している私に、やっとMacintoshを売れる状況がやってきました。しかし、会社で販売したことが無いため、必要な資料が1つもなく、商品カタログさえもありませんでした。まずは下準備からのスタートです。まず、カタログが無いのなら、もらえる所へ行ってもらえば良い!と考えました。ラッキーなことに、ちょうどAppleフェアが開催されていたので、会場まで行きました。フェアを満喫しつつ、駐車場に止めた車と会場を何度も往復し、欲しかったカタログを沢山もらってきました( 自宅にはもらってきたciやfxなどのカタログがいまだに沢山あります…)。上司から「 Macintoshの仕入額が高いから、どうにかしろ! 」と言われていました。値段が高いというなら、安く仕入れられるベンダーを探せばクリアできると考え、さっそく実行していました。他の営業マンから見れば、販売実績がない商品なんて、何でわざわざ売ろうとするのか?面倒なのに…売れなかったらどうするつもりなんだ?と思われていました。確かにゼロからの準備は想像していた以上に大変でした。しかし、それでも「良いと思ったものを売りたい気持ち」だけは、減ることも無く、自力で試行錯誤していました。

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私以外の会社内の営業マンの休憩スタイルは、喫茶店がお決まりでした。しかし私はそうせずに、お客様のもとへ訪問してお茶をいただくようにしていました。その時は本題は話しません。休憩しつつ、ちょっとした会話をお客様としていました。年齢が20代半ばの私が生意気に「皆さんはジュウタン爆撃してください!私はピンポイント爆撃(当時、湾岸戦争の頃なため)で確実に行きます」 なんて言っていたことが懐かしいです。業務以外の何気ない会話などからお客様の人柄を知るキッカケや、いい意味でのギャップを垣間見ることができ、喫茶店で一人で休憩するより、はるかに有意義な時間でした。さらに、お客様に紹介をしていただくために【白澤営業キャンペーン】を勝手に企画して、実施してました。ご紹介いただいたお客様3件成約で、当時10万程度の120MBのハードディスクを、5社成約で18インチモニター(CRTで18万程度)をプレゼントするというキャンペーンを、会社には内緒でしていました。これが、なかなか好評でした。お客様との関係づくりをしてきたおかげで、紹介商談が増え訪問件数が少なくても、営業ノルマが達成できる状態になりました。この頃に売上げを上げるために自らキャンペーンを企画したことが、販売促進の楽しさを知る原点だったと思います。お客様に信頼されること、お客様との関係作りの大切さを心底実感することが出来ました。 これも原点です。

「自分がしていることって…起業しているのと同じかも? 」
ゼロから売るまでのプロセスが
ふと、起業するプロセスと似ていると思いました。

サポートの原点 〜 納品後が本当のお付き合い 〜

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Macintoshを売るだけではなく、売った後のサポートも大切なことだと気づき、力を入れていました。しかし時間は1日24時間しかなく、自分も1人しかいません。時間が無いからという理由で、中途半端なサポートはしたくなかったので 「どうすればサポートが効率よく簡単にできるか? 」 を考え、オンラインでお客様のMacintoshにアクセスなどもおこなっていました。

オンラインでアクセスなんて今は当たり前ですが、1990年頃のモデム接続が”ジージー”といっていた時代では、かなり画期的だったんです(笑) その後、Net64が発売され「速い!」と感動したものです。現在の「Webサイトを作りっぱなし」にしたくないという考えは、この頃のサポートに対する想いが原点だったと言えます。売りっぱなしはダメ、という考えが基本になっています。

転機 〜 広告代理店への転職 〜

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当時、某大手電機店さんがMac館を新規オープンし、Apple商品のオープンプライス化が始まりだした頃、デザイン制作会社から転職のお誘いがありました。10年ほど会社にいましたので、転職も良いかなと考えていたところです。Machintoshの販売の営業活動をしていれば、当然、デザイン制作会社にも顔を出すようになりますが、お誘いいただいたデザイン制作会社では、カラーコピーを利用していますから、CEだった頃から知っている会社でした。社長は「デザイン会社から総合広告代理店にしたいから営業職がほしい」という考えでした。自分が営業をしてきた3年間のノウハウが全部使える!と思い、二つ返事で転職を決意しました。

退職願いを書き、直属のA上司に渡しました。しかし、受け取ってもらえず、そのまた上のB上司へ持っていけと…、しかしB上司は私を見ると逃げる始末…追いかけて渡しても受け取ってもらえず、役員に持っていけと、たらい回しにされました。嬉しいのか悲しいのか…退職 願いを受理されるまで1週間くらい労力を使いました。退職時「20年後、辞めなければ良かったと思う会社に成長してください」と生意気に挨拶して退職しました。余談ですが、当時の後輩が代表取締役になったと聞き「良い会社だったのだ」と改めて思っています。

スタッフとの出会い 〜 いざ、広告代理店への道へ 〜

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入社後、はじめての仕事は媒体を覚えることからでした。だ〜れも教えてくれません!インターネット?そんなものなんて、この時代にまだありません!どうやって覚えたかと言うと、大型書店へ毎日行って立ち読みです。欲しいと思った本を全て買えればいいのですが、転職間もない私には好きなだけ全部は買えませんでした。何冊も見比べて厳選して購入していました。手間暇かけて選んで手に入れた本です。書かれていること全部を自分の頭に叩き込む勢いで何度も読み覚えました。何がなんでも使いたおす!これも私の原点です。Macintoshの営業をしていた頃にDTPは少し覚えていましたが、紙媒体を覚えることは、かなり大変でした。案件ごとに、たくさんの紙袋がデスク下のスペースを占領していました。その紙袋の中は、作成したモノの入稿リスト・画像データリスト・校正紙・修正依頼書…と厚みのある資料がたくさん入っていました。印刷が完了し納品されても紙袋の中の資料は破棄しません。何故、捨てないのか?それは制作物のミスがあった場合のチェック用です。そして、この大変なことをどうルーチン化できるか?ルーチン化ができればミスも減る!自分もラクできる!お客様もラクできる!

その後、新しいお客様とお取引を開始し、業務の流れを変えていくこともしました。はじめは担当者は大反対!です。業務の流れを変えていくことで、担当者の仕事が無くなると誤解されていました。いえいえ、担当者は関係内部との打ち合わせや判断をすることにシフトしていただき、判断する材料は私たちが用意すると説明をさせていただき、納得してもらい、スムーズに業務の流れを変えていくことができました。最終的には、信頼されているということからなのか「これはお客様側で作成するモノでは???」という資料作成までさせていただきました。おかげで販売促進の企画・予算計画から実行までできるようになりました。

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予算計画ではMDカレンダー作成〜前年売上指数や競合対策を入れた販促計画、チラシの折り込み計画で店舗5km圏から時間圏MAPによる折込指定・店舗予算への当て込み、チラシ予算削減計画(下期20%削減)などです。店舗SPではPOPや什器・各媒体との連携及びCM作成・媒体計画では店舗に立ちアンケート調査を行い報告書作成し、イベント企画及び実行を任せてもらいました。紅白幕の設置方法を学び自分達でイベント会場の設営までもしました。万国旗の設置をカラビナをつけて登って行いましたが、これは二度とやりたくないと思うくらい本当に怖かったです。怖いことから楽しいことまで、様々なことを経験させてもらいました。たくさんのエピソードがあります。

これら広告代理店で共に経験を積んだメンバーが、ジップサービスに居ます!企画・ディレクション・調査・営業を行っていたメンバーです。セールスプロモーションまでできます!と言える原点です。それは、大きな強みであり、私たちジップサービスが、ただのホームページ制作会社ではないことを物語っていると思います。多種多様なお客様と、広告の仕事でお取引をしてきました。新しい案件の話をいただけば、お客様の仕事内容を把握する、チラシを折り込むことを考える、商品があれば競合店を調べる、インターネットがない時代でしたので、もちろん本屋さんで調べます。これらの経験が、お客様の仕事を覚える重要性を考える原点です。

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時に、営業職は他部署の人間と対立してしまう話は聞いたことがあると思います。私が経験した対立は、制作する人間と営業する人間。優劣や上下関係なんてあるはずがないと思っていましたが、ある日、制作する人間の方が偉いような態度をとられました。お客様との校正で、修正依頼があり、それを制作担当者に話すと「できません」と突っぱねられました。その案件は入稿がお客様の都合で遅れ、当初のスケジュールが遅れていたのですが、直しがあるなんて有り得ないといった顔つきで「何を打合せしていたんですか?スケジュール通りやってください」と言われました。そりゃ、スケジュール通り進めたいのは同じ気持ちです。ほかの営業スタッフからも制作スタッフへの愚痴が多く集まるようになりました。このままお互い不満を抱えていても良くないと思い、制作スタッフを全員呼んで「制作あっての営業です。でも制作は自ら営業活動していないのだから営業スタッフが居なければ、仕事が無いでしょう。営業あっての制作、制作あっての営業、お互いがお互いを必要で、力関係は五分です。もっとお互い感謝の気持ちを持って仕事して欲しい」と話しました。素直に聞いてくれる人も居れば、反発する人も居ました。お互いを信じ、お互いのことを考えることができれば、良い仕事が出来ると私は思っています。それは、お客様ともそうですし、ビジネスパートナーとも同じです。これが会社運営の原点です。ただし「Win-Win (双方に得のある良好な関係)で」と取引などで言う方は、経験上 Win-Win ではない確率が、かなり高かったので、そう言う方とは自然に距離を取ってしまいます(笑)Win-Winの考えは、とても大切だと思いますが、 Win-Win と言いつつ自分だけ得している関係でWin-Winとおっしゃる方が多くてビックリしました。

インターネットへのシフト 〜 CMSエンジン GIPSERVICE 〜

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広告代理店での営業では、紙媒体は単価勝負のようなこともありました。もちろん企画やバックボーンを説明して、高くなる分トータルで見た場合に安いと理解してもらいお取引をさせていただいていました。しかし、担当しているお客様の校正紙は、私の机の下に沢山ある状態は変わりませんでした。

ある時、後輩の営業マンに同行を求められました。新規のお客様で紙媒体(チラシ・ポスター)の営業として訪問しましたが、3日遅くダメでした。紙媒体がダメならホームページの話をしたところ好感触。翌日に提案書・見積書を持参することになり、その翌日にご発注をいただく流れとなりました。紙媒体での単価勝負ではない、見積提案で決まると実感しました。そんな中、あるクライアントで紙媒体でのミスが発生しました。刷り直しになり、ホームページにも掲載されていた情報は、数分で修正完了していました。紙媒体とWebの大きな違いを体感しました。

ある年の1月1日元旦のことです。クライアントの初売りセールに合わせてホームページ公開をするために、私とシステム担当者は会社へ出社していました。初売りセールのチラシ情報をホームページ公開するためです。なぜ、公開するだけのために出社するのか意味が分からないという方もいらっしゃると思いますが、当時は、誰でも簡単に公開作業ができない時代でした。元旦くらいは休みたいと正直思っていました。「システム担当者じゃなく、お客様が自由に公開できるようにならないか」とふと思いました。出来ないかな〜?どうかな〜?と。ワープロ感覚で更新できて、FTP接続でダウンロードやアップロードなんてしなくて済んで、クライアントのパソコンスペックで更新OKなものって出来ないかと。そんな想いが、CMSエンジンの自社開発への始まとなり、1999年 自社開発CMSエンジン GIP SERVICEが開発されました。CMSエンジンによるホームページ制作の原点です。

自社開発CMSエンジンを販売することで、代理店戦略をとり全国へ販売が開始されました。代理店網を使ったことで、北は北海道から南は沖縄までGIP SERVICE利用がありました。その後、自社開発CMSエンジンとともに東京の会社へ転職することになりました。販路は広がりましたが、今までの営業ノウハウを使いきれないジレンマが理由となり退職し、株式会社ジップサービスを立ち上げました。CMSエンジンの商品名を会社名として採用しました。社員数や業務内容が変わり、本社を何度も移転し、2008年本社を東京から宇都宮へ移転し、起業から15年経過しました。これからもクライアントの課題を改善することを私たちの使命とし、クライアントと共に企業成長を実現していきます。

カヌーは進む方向を自分の目で見て進路を決めて自分の力で漕がない限り前に進みません。
言われたことしかできない、自分で考え行動することを決められない。それはないのです。

「心の備え」「体の備え」「技の備え」
お客さまのご要望に対して、常にそなえる心を持ってほしいという考えです。

夢のある者は、希望がある
希望のある者は、目標がある
目標のある者は、計画がある
計画のある者は、行動がある
行動のある者は、実績がある
実績のある者は、反省がある
反省のある者は、進歩がある
進歩のある者は、夢がある

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